~あいにいく~第1回【 1 / 3 】

島根県立三刀屋高校教諭 亀尾佳宏【1】

    島根県立三刀屋高校教諭
    亀尾佳宏【1】




「伝説の教師が、いるんですよ」。
そう聞かされたのは、1月のことだ。
いや、言葉としては定かではない。けれど私の耳には、そう聞こえた。
「赴任する先々で、演劇部の顧問に就くたび、全国大会へとのし上げている国語教諭が島根県にいる」。
聞かされたことは、それだけだ。たったそれだけ。
けれど、心は決まっていた。あいにいこう、いってしまおう、と。

 目指すは島根県の「木次(きすき)」という町。とりあえず乗換検索をしてみて、ちょっとのけぞる。まず新幹線で岡山へ。そこから「特急やくも」に乗り換え、2時間50分かけて「宍道(しんじ)」という駅へ。そこから、1時間に1本の「木次線」に乗って、35分で「木次」駅へ。

 その駅前にそびえる「木次経済文化会館 チェリヴァホール」なる劇場で、その伝説の教師は一本の創作市民演劇を手がけるのだという。『異伝ヤマタノオロチ』。古事記編纂1300年を記念した事業の一環として行われる舞台公演であり、その主軸として関わっているのが、私にこの話をもたらした松村武(劇団「カムカムミニキーナ」主宰)であり、そして今回、作・演出を手がけるのがその人、亀尾佳宏だ。

 どんな人なんだろう、と何日も前から夢想する。はるか遠い町で、演劇と向き合うことの意味を思う。演劇への強い思いで、カリンコリンに凝り固まった人だったらどうしよう。トーキョーモンなど寄せ付けない演劇愛と「伝説オーラ」に満ちた熱血漢だったらどうしよう。初対面の第一声は、なんて言おう。どんなトーンで、どんな笑顔で。頭の中をむくむくにふくれ上がらせながら、いよいよ木次の駅が近づいてくるのがわかる。ああ、あの建物だ。「サン・チェリヴァ」なる大きなスーパー。その横に、ホールへの入り口が電車の中からでも見える。駅近にも程がある。改札を通り、扉をひらく。中のスタッフに声をかけると、まず松村のもとへ通される。本当に来てしまいましたねと松村は笑い、そして私を連れてまっすぐに、亀尾のもとへ急いだ。

 そのときホール内では、照明の打ち合わせが行われていた。当然客席は暗闇なので、身動きが取れない。あ、あの、いいです、あとで。私のつぶやきなど耳に届く気配もなく、松村はずんずんと歩いてゆき、その人に声をかける。するとその人がこちらを向き、二人して小走りで向かってくる気配がして、そしてそれが、伝説の教師との初対面となった。

 真っ暗すぎて、何も見えない。

 あわててロビーへ出る。ようやくその人の顔を見る。笑っている。そして軽やかである。私の名刺を受け取って、深く二礼も三礼もする。"カリンコリン"のかけらも見えない。少し安堵する。

 そしてそのまま、亀尾も松村も持ち場へ戻る。公演はほんの1週間後だ。シーンごとの照明が次々と作られていく。「亀尾センセー」と照明スタッフの声が飛ぶ。「何ー、だいすけー」と亀尾も返す。一般市民から現役舞台人まで、様々な出自の人たちがこの座組には参加している。中には、かつての教え子たちも。「だいすけ」と呼ばれていた田中大介は、亀尾が最初に赴任した学校の生徒だった。

 音響卓にも、教え子のひとりがいた。「ちみちゃん」と呼ばれる、石原知美。彼女は亀尾が顧問を務める演劇部を、高校2年時に退部している。その後京都の大学へ進んだけれど、雲南のためにできることが他にあるのではないかと、一時帰郷しているという。

「演劇部を辞める時に亀尾先生に言われたことを、今になってよく思い出すんです」

 自分の頑張りが、仲間に届かない。あるいは、届いてはいてもそれが見えない。自分がここにいる意味は、ないんじゃないか。そう思いつめる彼女に、亀尾は言ったのだという。

「いや、意味は、自分で作るものだよ」

 意味がないなら、作ればいい。日々がつまらないなら、自分で面白くすればいい。――上から言い捨てたのでは、おそらくない。それは彼女の話から伝わってくるし、それにたぶん亀尾を含む多くの大人たちが、日々実感していることである。自分が存在する真の意味など、そうは見つからない。だから、作る。自分で。それでこそ人生はおおむね厳しく、ときどき愉快だ。

「自分で感じて自分で考える、ということをそのとき教わったような気がして。そうだ、人の言いなりは嫌だ、ちゃんと自分で考えたい!って思って、今回の音響プランもわりと好き勝手やってるんですけど(笑)。でも先生はそれを面白がってくれるというか、むしろ求めてくるというか。何が何でも自分ひとりで作りたい、というタイプではないと思います」

 照明が決まれば、次はリハーサルである。経験も職業も様々な老若男女が、舞台上に集結する。聞けば、週末を中心に、11月から稽古が重ねられてきたのだという。

「この劇場があるから、この町に住みたいって思うんですよ」

 亀尾が言う。演劇は、人と集うことから始まり、劇場は、人と集うための場である。この「チェリヴァホール」にはホールがあり、ロビーがあり、喫茶店があって、スーパーにも直結している。

「演劇部の稽古や公演に使わせていただいたりもするんですが、まず"劇場がある"ということ自体がとても豊かだなと思うんです。ここに来れば、面白いことができる。面白い人がいる。そういうことから、すべては始まるんじゃないかと」

 そうして集まった"面白い人"たちが、これから稽古を始めようとしている。その物語は、こうである。太古の昔、自然の声を聞き取れる耳を持つ青年「オト」。使い込まれた木の鍬で、今日も純朴に田畑を耕す。彼を愛する少女「イネ」は、この国を治める王「アシナ」の娘で、幼馴染の「ヤマタ」はいつも奇想天外なでたらめ話で民を惑わせ、困らせる。そこへ、不思議な黒い砂を持った男「オロ」が現れる。彼はこの国の言葉が使えず、唯一、謎の言葉を口にする。「ハガネ」。民はその黒い砂を「鋼」と名づけ、その使い道を知り、鋼の鍬で耕す畑は実りを増して、さらなる豊かさを民は追い求めるようになる。そこでヤマタがアシナ王に進言する。鋼で、剣を作るべきだと。この国の実りを長らく搾取している「タキガミの国」を、剣で滅ぼせばいいのだと。平穏な日々と、ヤマタとオトの友情が、そこから少しずつ狂いだす――。

 整った舞台である。描かれる痛みも喜びも、それぞれに一定の説得力がある。情感を誘う音楽と照明、そして出演陣の真摯な演技。稽古中に亀尾が投げかけるダメ出しも、実にジェントルだ。自分で舞台の方へ駆け寄って、動いてみせながら演出をつける。万歩計をつけたらいいんじゃないかと思うくらい、せわしなく行き来する後ろ姿を眺めながら、私は強く自問していた。

 演劇公演にまつわるインタビュー記事を、書く仕事をこれまでしてきた。稽古場取材もした。かつて憧れていた劇作の現場は、想像していたよりずっとプロフェッショナルだった。大人たちは整然と仕事にあたり、芝居は粛々と作られていく。怒号とか悲鳴とか灰皿とか、そういったものが飛び交う様はほぼ記憶にない。だから、私たち記者は目を凝らす。"整然"や"粛々"の向こうにある何かを探して。

 同じことが今、ここへ来てまで起きようとしている。焦る私が、かすかにいた。もっと目に見えて明らかな"何か"がここにはあるはずだと、無意識のうちに思い込んでいたから。となれば私は何をしに来たのか。何に駆られて、この場所に座っているのか。勝手に彼らに"何か"を期待し、押し付け、それに当てはまる何かを見て取ったら満足して帰る、そんな旅をしに、私はここへ来たんだろうか。

 シフトチェンジを心に決める。これまでの経歴とか専門とか肩書きとか、そういうすべてをかなぐり捨てる。そこから始まる出会いこそが、きっと「あいにいく」旅の一歩目なのだ。

Ai-ni-iku